Marie−Hudson (マリィ ハドソン)
 #2.

昼に夜に朝に 貴男を想うとき
この世界には 私ひとり
あの笑顔 遠く離れていきそう
明日から どんな顔を見せたらいいの?


 ・・・・・・何故そう思えるのだろう?
マリィは自問してみる。
以前なら,飛行機に熱意をかたむけているジェームスに,夫として,男としての頼もしささえ感じていたはずだった。
それが今では,彼から飛行機の話を聞かされる度に,彼の身も心も次第に自分から離れていってしまうように感じられた。
 何一つ変わってはいない。
彼の私に対する気持ちも,仕事に懸ける思いも,毎日繰り返される日常も。
そうであるならば,何が変わったというのだろうか。

「変わったのは・・・・・・私?」

ジェームスに対する想いが揺らいできたのだろうか。

「そんなことはない。私にとってジムはとても大事な人・・・・」

そう否定はしてみるものの,拭いきれないこの不安な気持ちは何なのだろう。



 『死んだらどうするって? 何言ってんだよ。人生は一度きりだぜ。やりたいこともやらねぇで生きてたって,面白いもんかよ!?」

ことあるごとにトミィはそんなことを言う。

「トミィと同じように,ジムもそう言うのかしら?」

一度きりの人生だから,自分のために,自由のために生きてみたい・・・・・・と。
私がどれほど彼を愛しても,想っても,・・・・私一人を残すことになったとしても。
 もっと私を見て欲しい,私のそばにいて欲しい。
そう願うのは私のわがままでしかないのだろうか?
マリィには分からなかった。


 日曜日。
教会で礼拝を済ませたマリィはマック=ペインの飛行場へ向かう。
これもいつもと変わらない,繰り返されてきた日常。

「何故ジムは教会へ行かないのだろう?」

ジェームスと知り合い,交際を始めるようになった当初は,そんなことを考えたこともあった。
一度だけ聞いてみたことはあったが,「今は仕事が楽しいし,実際忙しいから・・・・」などとはぐらかされてしまった。
別に調べようと思ったわけではなかったが,トミィや飛行場の仲間から聞かされたジェームスの生い立ちを考えると,ある程度の想像はできた。

「あの人は,神様を信じていない・・・・・・」

神に縋ることを拒否した,神の加護を拒否する生き方。
彼はそうせざるを得ない生き方をしてきた。
それはとても悲しいことことだと思った。
だからマリィは忘れることにしていたし,実際,忘れていた。
だから日曜日毎に一人で教会へ行くこともできた。



 「やっぱり,ここは問題だと思うんだ」

昼食の時刻には少し早かったが,既にジェームス達は食堂に居るようだった。
トミィの声が外にまで響いてきた。

「だからさ,そこにアルミニウムを使ってみればさ・・・・」

食堂のドアを開くとジェームスの声も聞こえてきた。
見ると,食堂の一番奥の一角,いつもの場所でジェームス達がなにやら議論をしているのが分かった。

“また,飛行機の話”

マリィは心が重くなるのを感じたが,笑顔を作り,テーブルの輪の中に入った。

「何の話? ずいぶん熱くなっていたみたいだけど。食堂の外まで聞こえてたわよ」

「ああ,ジムの設計した飛行機のことでね。ちょっと話をしていたんだ」

いつもならヘラヘラと軽口を叩くトミィが言葉を返した。
どうやら真剣な話をしていたらしい。

「何か問題でも起きたの?」

「うん,ベインさんに頼んで試験機を作らせてもらったんだけどね,ちょっと不安材料があってね」

丸テーブルの上に無造作に広げた設計図を,やはり無造作にたたみながらジェームスが答えた」

「本物はあちこちにアルミニウムって金属を使うんだけど,これが高くてね。試験機は今までと同じ材料で作ったもんだからね」

トミィからこういう話を聞いたことがなかったので,マリィはちょっと意外な気持ちになった。
トミィは力押ししかできない無鉄砲な性格で,自分が空を飛べればそれだけでいいというような,自己中心的な男だと思っていた。
こういうことをきちんと考えられるとは思っていなかった。

「ともかく,俺達だけで机上の空論を振りかざしてもしょうがないだろう」

「そうだな。ガストの話も聞いておきたいしな。ちょっと呼んでくるぜ。待ってな」

トミィは立ち上がると,足早に,それでもいつもと変わらぬ大股で食堂を出ていった。
マリィはジェームスの右隣の席に腰をおろすと何気なくトミィの座っていた席を見た。
テーブルの上にはトミィの飲み残したコーヒーのカップがあり,それには殆ど手を付けられていない黒い液体が満たされていた。
コーヒー好きのトミィが,コーヒーを飲むのも忘れるぐらいにジェームスとの話に熱中していたのだろう。
何故に夫やトミィ達がこれほどまでに飛行機に,空を飛ぶことに固執するのか理解できなかったが,マリィは笑顔を作ると夫に話しかけた。

「ジムの飛行機,できたんだ?」

「ああ,・・・・と言っても,フィッシャーに譲ってもらった古いヘルミーネを芯にして改造したものだけどね」

「フィッシャー・・・・・・ ああ,仏蘭西にいるトミィのお友達の?」

「あいつはライバルだ,なんて言ってるけどね。誰が見たっていい喧嘩友達だよ」

そう言いながらジェームスは,先程たたんだ設計図を再びテーブルの上に広げた。
何枚かある設計図を忙しくめくり,飛行機の三面図が描いてある図を一番上にのせる。
その図にもあちこちに細かい文字で何やらメモが書かれていた。
無論,マリィに理解できるものではなかった。
自分の知らない世界に夫がいる。
マリィはいいようのない不安を覚えた。

「ヴァルコーンって名前を付けようと思っているんだ」

マリィの想いを知らず,設計図を両手でならしながら,ジェームスはまるで子供のような笑顔で言った。

「ヴァルコーン?」

「何処のだったかは忘れたけど,昔話の中に出てくる風の神だったか精霊の名前だよ。ちょっといいだろう?」

少しでも彼の世界に近づきたい。
そんな想いでマリィは自分が知っている言葉を口にする。

「シルフィードみたいなもの?」

「よく知ってるね? そうだよ。でもヴァルコーンは・・・・」

ジェームスがそこまで話した時に,トミィがガストを引っ張るようにして食堂に戻ってきた。
どうやらガストはいつもの場所で“休息”をしていたらしく,体のあちこちに藁くずを付けていた。

「何だってんだぁ?」

ガストは面倒そうに椅子に腰を下ろすと,テーブルの上にあったトミィの飲み残しのコーヒーを一気に飲み干した。
地方によっては,分別がなく,野蛮で粗暴で卑しい者を“ノライヌ”と蔑視して呼ぶというが,ガストの振る舞いを見ていると,この言葉はまるでガストのためにある言葉ではないかとマリィは思った。
もっとも,“ノライヌ”の言葉の語源など知りはしなかったが・・・・・・。

「ああ,すまなかったな,ガスト。俺は大丈夫だって言ってるんだけど,トミィがさ・・・・」

「例の支柱と金具の問題か? 所詮,元はヘルミーネだ。材質も違う。あの機体を飛ばすんなら,あくまでも平均的な巡航速度での安定性を見るのがベストだろう。それ以上を望むのは,俺ならしないね。・・・・・・で,俺の前にベインさんには?」

「・・・・・・同じことを言ってたよ。でも俺はお前の意見も聞くべきだと思ってな」

「だから言っただろう? ベインさんとガストの意見が同じなんだから・・・・」

「分かったよ。それ以上言うなよ。・・・・・・じゃあ,今からでも一度エンジン転してみるか!」

男達はそんな短い会話を交わすと,まるでマリィの存在を忘れたかのように椅子から腰を上げた。

「ちょっと待ってよ,ジム・・・・」

マリィがうつむいたまま夫に言葉を投げかけた。
顔を上げて,彼の顔を見ることができなかった。
アレンピーが逝った時に感じた,言いようのない不安と腹の底から込み上がってくるような嘔吐感を再び感じる。
心と体の全てが,言葉や理屈では表せない不安を感じているのだ。
何故自分の願いが,気持ちが,彼には届かないのか?

「また飛ぶの? ジム・・・・」

「あぁ,一回でも多くテストをしたいからね」

「だって,危ないかもしれないんでしょう?」

「テストをしなけりゃ,分からないことが多い・・・・・・」

そこまで言ってジェームスは,彼の妻の様子が尋常ではないかもしれないということに気付いた。

「死ぬかもしれないのに,どうしてみんな,いつもいつも危ないことばかりするのよ!!」

「それが俺達の仕事だからな」

トミィが答える。
マリィの気持ちには気付いていないようである。
トミィにとってはいつもの軽口でしかない。
実際,今のトミィは空を飛ぶことを金を稼ぐための“仕事”とは思っていない。
例え空を飛ぶことが生活の糧となっていても。
・・・・・しかし,“仕事”という言葉がマリィの気持ちをさらに逆撫でしてしまった。

「仕事だから・・・・? 仕事だったら死んでもいいのっ!?」

「マリィ,別に僕達は死ぬとか,怪我をするとか,自分のことだけを考えてやっているわけじゃないんだよ。僕にとっては飛行機や空を飛ぶことよりも,マリィが何より・・・・・・」

目の前に見える物全てが歪み,崩れていく感覚。
あのときと同じ饐えた胃液の臭い。
マリィはその場に立っていられなくなり,自分でも意識していなかった,いや,意識しようとしなかった気持ちを一気に吐き出した。

「だったら飛ぶのをやめてよ。もっと優しくしてよ!! 一人で待つのはもう嫌なのよ!!」


昼に夜に朝に 貴男を想うとき
この世界には 私ひとり
逢うたびに もっともっと淋しくなる
明日から どんなことを話せばいいの?

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