Rat−Bianca;Veinn (ラット ビアンカ)
 #1−2 メビウス

北の小さな町,リース。
ネイメット=オニールの飛行場。
その薄暗い格納庫の中で,ラット=ビアンカは飛行機のエンジンに油を注していた。
まだ5月だというのに,格納庫の中は,蒸し暑く,埃で満ちていた。
手は油にまみれ,鼻先からは汗がしたたり落ちたが,ラットはそんなことを気にしている様子はなかった。
ただ,一心に仕事を続けていた。
・・・・・・何処からか声が聞こえた。

”・・・・・・いらない”

ふと,油差しを持った手が止まる。
ラットは頭を振ると,古くなってこびりついた油をボロ布で拭き取り,そこに新しい油を注した。

”あんたなんか,いらない”

またあの声だ。
ずっと,ずっと昔から,途切れることなく続くあの声。
あそこから逃げ出せば聞こえなくなると思っていたのに。
此処へ来れば,何かが変わると思っていたのに。

”私の産んだ子じゃないのよ!!”

だから好かれようとしたのに。
だからいい子になろうとしたのに。
だから,捨てないで・・・・独りは怖い。

ラットは耳を塞いだ。

いらない
いらない
いらない
いらない

だが,声は止まらなかった。

「ごめんなさい,ごめんなさい,ごめんなさい・・・・・・」
ラットは耳の奥で響く声に向かって何度も繰り返した。
夕日が射し込み赤黒い格納庫の中,飛行機の翼の下でラットは耳を塞ぎ,身を縮め,何度も何度も繰り返した。
幼子のように。
涙を流して。
「ごめんなさい,ごめんなさい,ごめんなさい・・・・・・」

”私が子供を産める体だったら・・・・・・!”

「やめてえぇぇぇぇぇ!・・・・お願いだから,もう,やめてくれ!」

”い・ら・な・い”

「あああああああああああぁ・・・・・・っ!」
ラットは耳から手を離すと,側に置いてある工具箱の中からナイフを取り出した。


格納庫の方から響いてきた叫び声を聞きつけ,ネイメット=オニールがとんできた。
彼はそこで,信じられないものを見た。
飛行機のエンジンカバーにベットリと血しぶきがつき,床の上には血だまりができていた。
そして,その血だまりの中には,自らの血の付いたナイフを持ったラットがたたずんでいた。
頭から血を流し,銀色の髪の毛も顔も,真っ赤に染まっていた。
それなのに,まるで痛みも何も感じていないように,口元に笑みを浮かべながらラットはたたずんでいた。
「ラットォ!」
オニールが駆け寄り,ラットの肩を揺すったが,ラットには目の前にいるオニールは見えていないようだった。
「ラット,おい!しっかりしろっ!!どうしたんだ?」
激しく揺すられ,ラットはようやくオニールに気付いたようだった。
ゆっくりとオニールに目を向けると,一言だけ言った。

「声が・・・・・・聞こえなくなりましたよ・・・・・・」

そして,恐怖にひきつったような笑みを浮かべると,そのまま気を失って倒れた。
崩れ落ちたラットの傍らに,オニールは見た。

ラットの体毛の付いた肉片が二つ。

「耳を・・・・切り落としたのか!?」

今まで知らせずに置いたが,もはやラットをこのまま此処に置いておくわけにはいかないとオニールは思った。
ラットの所在を,彼に知らせなければならない。
ネイメット=オニールの古くからの友人,『マクシミリアン=ベイン』に・・・・・・。


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