Marie−Hudson (マリィ ハドソン)
 #1.

雲のない青空は
風のないこんな日は
住み慣れた街の真ん中で・・・・・・


 マリー=ハドソンは不安だった。
彼女の夫が今,どこで何をしているのか。
元気でいるのだろうか。
今日も無事に帰ってきてくれるのだろうか・・・・・・。
その気持ちを表に出すことはしなかったが,彼女の心が安まることは一日とて無かった。



 ・・・・・・彼女は,夫に飛行機から降りてほしかった。


 『本当にその人のことを“愛して”いるのなら,その人の周りが見えてくるわ。その人が何を考え,何をしようとしているのか,何を望んでいるのか・・・・』
エミリー=フォーカス。
ラット=ビアンカが逝ったその日,彼女がマリィに投げかけた言葉。
そう言うエミリーにマリィは言葉を投げ返す。
『私は,本当にその人が“好き”なら,その人のことだけしか見えない!』
『そう・・・・・・うらやましいわ。貴女は女でありすぎるのね?』
飛行機乗りを愛する女同士であるのに,彼女とは決して相容れることは無いだろうとマリィは思った。
彼女の恋愛観は理解し難かった。
 ・・・・・・あれから一年余りが過ぎた。
ジェームス=ハドソンと結ばれ,一緒に暮らすようになり,エミリーの言葉の意味が少しずつ分かってきたような気がするマリィだった。
「・・・・・・あの人は今日も飛行機に乗る。私はそれを許している。」
マリィは,もう一度エミリーに会ってみたく思った。


 毎週日曜日,教会での礼拝の後,マリィは夫の働く飛行場へ行くのが常になっていた。
ジェームスと結ばれてしばらくは,働く夫の姿に自分と夫との希望に満ちた未来を感じていた。
・・・・いつからだろう?
元気に働く彼の姿を見るのはこれが最後になるかもしれないという不安に駆られるようになったのは。
 昼食を一緒にとるために食堂で夫を待つマリィに,マリィを知る者も知らぬ者も声を掛けてくる。
この半年の間に,知った顔が一人,また一人と消えていく中で,そんな彼らに愛想良く応える。
“今度消えるのはジムの顔かもしれない”
そう考えると,言いようのない不安と苛立ちを覚え,嘔吐しそうになった。
咽の奥からむせ上がってくる胃液の饐えた臭いを打ち消そうと,一口も口を付けないままにすっかり冷めてしまっていた紅茶を一気に咽に流し込んだ。
口の端から紅茶が少しこぼれ,胸元に小さな染みを作ったが,マリィは気付かなかった。

 夫とトミィ,ヒューイといった,いつものメンバーと一緒に食事をしている間も,気が晴れることはなかった。
とりとめのないトミィ達の話しに笑顔で相づちを打ちながら思う。
“私はここで何をしているんだろう?”
“ジムは私の気持ちを分かってくれているのだろうか?”
そんなマリィの想いをよそに,彼女の夫は彼の仕事仲間との話に花を咲かせている。
笑っている。
何がそんなにおかしいのだろう。

 彼と共に暮らし始めて既に半年も過ぎている。
そういえば最近,私と二人きりの時に,彼は笑顔を見せてくれただろうか。
私に向かって微笑みかけてくれただろうか。
・・・・・・見ていない。
いや,私が彼の顔を見ようとしていなかったのではないだろうか。
・・・・何故?
どうして私は彼を直視できないの? しようとしないの?
どうして私はこんなことを考えているの?
私は疲れているの?
一体,自分は何を考えているのか,何をしたいのか。
想いを巡らせば巡らすほどに,どうしようもない哀しみと行き場のない怒りが込み上げてくる。

 マリィの周囲の喧騒とは裏腹に,彼女の内側に広がる黒い静寂は,突然に激しく開かれた食堂の扉の音にかき消された。
整備士のデュランが血相を変えて飛び込んできた。
その顔色は尋常ではなかった。
「どうしたんだ?」
トミィの問いにデュランが答えるよりも早く,数人の男達が担架を担いで食堂に入ってきた。
その担架を担ぐ者達の腕や衣服が,そして良く見れば担架そのものも赤黒く染まっていることにジェームスは気付いた。
「着陸に失敗して,機体にはさまれて・・・・!!」
デュランがどうしてよいものなのか,どうしようもないというように言った。
担架に乗せられた男に駆け寄ったトミィが叫んだ。
「アレンビー!!」
そこにはトミィの良く知る男が横たわっていた。
アレンビー=アレン。
トミィがパイロットとしてこの飛行場で働き始めた頃から,ずっと一緒に連んでいた仲間だった。
親友だった。
そのアレンピーが血まみれで横たわっている・・・・・・。
「見るな,マリィ」
ジェームスに腕をつかまれて,マリィは気が付かないうちに担架に歩み寄っていた自分に気付いた。
「見ちゃいけない」
「でも・・・・・・」
見てはいけない,見るべきではない。
そうは分かっていても,アレンピーを乗せた担架の周りに血だまりが広がっていくのをマリィは見逃すことはできなかった。
まるで体中の血液が一度に流れ出たのではないかと錯覚させられる。
つい先ほどまでは,コーヒーと煙草のにおいに満ちていた食堂中に血が香る。

 「アレンピー!!」
トミィの腕に抱きかかえられたアレンピーの首が,その叫びに応えたかのようにガクンと項垂れ,マリィ達の方を向いた。
「ひィ・・・・っ!」
マリィは思わず口を押さえた。
実際には頭から止めどなく流れでる血が,彼の顔の反面を濡らしていたのだが,マリィにはアレンピーの顔が潰れてしまっているように見えた。
「アレンピー,しっかりしろっ!!」
まるでだらしなく投げ出されたアレンピーの腕が,ビクンッとはねて,そのまま動かなくなった。
既にヒューイ=ファードックが医者を呼びに走ってはいたが,それは徒労に終わった。
トミィの手を濡らす赤い流れは,もう,流れることをやめていた・・・・・・。
「うっ・・・・」
噎せ返るような血のにおいに,マリィはハンカチで口を押さえる間もなく,先ほど無理矢理に流し込んだ紅茶を嘔吐した。


雲のない青空は
風のないこんな日は
住み慣れた街の真ん中で
街角に立ち尽くす
君が歩いていく後ろ影を
通りの向こうに見失う・・・・・・

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