Rat−Bianca;Veinn (ラット ビアンカ)
 #2.

たとえ今 孤独が君を
引き裂いて 全て 消そうとも・・・・・・


ベッドの上に横たわるラットを,ジェームスは「美しいな」と思った。
明確な言葉としてそう意識したわけではなく,心がそう感じたのである。
ジェームス達よりも少し背が高く,長くしなやかな銀色の髪。
自然な姿で眠る姿は,先程までのラットの姿と対照的だった。
人混みの中でボロ屑のようになっていたラットと今ここにいるラット。
同じ人物とは思えなかった。
同じ男性の目から見ても,今のラットの姿は美しかった。
ただ,
「こいつ,何で耳を無くしたんだろう?」
怪我や事故で耳を無くす者は珍しくないが,ジェームスはふと,そんなことを思った。

居間に戻ると,トミィとマック=ベインが紅茶にブランデーを落としていた。
豪華なソファの背もたれに肘を掛け,足を組みながら紅茶を啜るトミィを意識しないようにしながら,ジェームスはトミィの横に腰掛けた。
”パイロットなのにアルコールか?”
親友となった今でも,ジェームスはトミィのこういうところと,誰に対しても遠慮のないぞんざいな態度を好きにはなれないと思った。
その反面,いつでも自分らしくいられるそんなトミィを羨ましくも思っていた。
「どうだ,落ち着いたか?」
いつもと変わらぬよう装うベインの声が,少し上擦っていることを2人は見逃さなかった。
「ええ,眠っています」
そう応えて,ジェームスも紅茶のカップを手に取った。

街中で倒れたラットを家まで運ぼうとしたトミィ達だったが,誰もラットの部屋を知らなかったのだ。
だから,仕方なくマック=ベインの屋敷まで足を運んだのである。
ラットの汚物で服を汚したアレンビー達は早々に引き上げたが,トミィ達は何となく流れるままにベインの屋敷に残った。
”マリィ・・・・怒ってなきゃいいけどな”
今になってジェームスは,彼の妻との約束を思い出し,一人気まずい思いになった。
しかし,ベインに訪ねたい,聞いてみたいことがあった。
ラットを屋敷に連れ込んだときの彼女の狼狽,マック=ベインの妻,ヘレン=ベイン。
ラットの存在。
だが,それを素直に出せないのがジェームスだった。
だから,
「驚きましたよ・・・・突然倒れるんですからね,ラット・・・・」
そんな衣を被せたような言葉が口から出る。
その言葉に,ベインの視線が逸れた。
言ってはまずかったか?
聞いてはいけないことだったか?
そこへ,トミィが追い打ちを掛けた。
「ベインさん,何なんですか,ラットって?どんな関係なんです?」
・・・・・・トミィ!
肘でトミィの体をつつく。
だが,トミィは続けた。
「さっきのヘレンさんの態度といい,ベインさんのあいつに対する肩の持ち方といい,普通じゃないっすよ」
ベインはカップをテーブルに戻すと,大きくため息を一つつき,話し始めた。

「あいつはな,私の息子なんだよ」
”ラットがベインさんの子供?”
想像もしていなかった言葉にトミィとジェームスは驚いた。
「息子ォ?似てねえ!」
トミィだった。
「そうだな。息子と言っても,血が繋がっているわけではない。あいつは私がまだ若い頃に街で拾ってきた子供だった」


汚れた街の片隅で,ボロをまとい,死んだように横たわる子供。
それは珍しい光景ではなかった。
今までにそんな子供を何十人と見てきた。
大人達に見放されて,人知れず朽ち果てていく幼子達。
だが,何故かベインはこの子供に惹かれるものがあった。

・・・・どのような家庭に生まれたのであろうか,トパズのペンダントをした子供が何故ダウンタウンの片隅で朽ち果てていこうとしていたのか,どのようにして今日まで生きてきたのか,それは分からない。
ただ,その子供が街の者達から『ラット(ドブ鼠)』と呼ばれていたことから,そのようにして生きてきたのだろう。
年端もいかない子供が自分を『ラット』と自覚してしまったことは不幸である。
その開かれた手のひらの中に光るトパズの黄色と,対照的な深い緑色の瞳に,ベインは引き込まれる思いを感じた。
それ故に,ベインはラットを拾い,育てることにしたのだった。



衰弱していたラットが幾分回復し,ベッドから起きあがれるようになった頃,ラットを養子として育てると聞かされたベインの妻,ヘレンは,驚きの色を隠せなかった。
「私は嫌よっ!何処の誰の子かも分からないのに・・・・・・ラット?雑種の子だなんてっ!!」
「雑種って・・・・ヘレン,おまえからそんな言葉を聞かされるとは思ってもみなかったよ。私はただ・・・・」
「あなたには分からないのよ!私だって,できることなら・・・・・・あの子は私の産んだ子供じゃないのよっ!!」
そんな言葉が繰り返される。
幼い子供の精神は,大人が考える以上に敏感である。
ヘレン達の言葉の意味は理解できなくとも,感じることはできる。
しかし,自分が不必要な人間だと知ったところで,生きる術を知らない子供に何ができようか?
自分の存在がベイン夫妻の仲を裂いてしまうかもしれない・・・・それでもラットにはベイン夫妻を頼るしかできなかった。
その思いがラットの人格を形づくる。

自分を持たず,常に控えめに,おとなしく,聞き分けのある良い子であるように。
ヘレンに今以上に嫌われることのないように。
捨てられたくない不安の中,一日一日を乗り切るだけの毎日。

だから街は,人混みはラットにとって恐ろしい場所だった。
幼い頃,町中で人混みの中に消えていった,顔も声も,ぬくもりさえも思い出せない母親。
そしてヘレン=ベイン。
・・・・ヘレンはラットを邪魔者扱いはしなかったが,愛情を注いでもくれなかった。
決して心を開いてはくれなかった。
マック=ベインは何も語ってはくれなかった。
だが,マックが自分にいつも気持ちをかけてくれていたことは強く感じていた。
だから,ラットは成人した(と思われる)歳になると,ベイン家を出て二度と戻らなかった。


すっかり冷めた紅茶を一気に喉に流し込むと,ベインは続けた。
「ヘレンは・・・・子供が作れない身体だったから,当てつけと感じたのかもしれない。私が雑種の子供を拾ってきたことを・・・・・・」

ベインの苦悩。
ヘレンの哀しみ。
ラットの傷心。
いつの時代にも”それ”が付きまとう。
「雑種か・・・・嫌な言葉だ!」
ジェームスは一人,唇を咬んだ。


たとえ今 孤独が君を
引き裂いて 全て 消そうとも
本当の自分を出せる
大切な場所を 求めてる
誰にも言わず
エガオノ ママデ・・・・・・

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