Side.2

「・・・・で,トミィはいたのか?」
「いえ,午前中はヒューイさんの機の整備をされてましたが,お昼からは誰も見ていません」
「仕方がないなぁ。折角マリィが来ているというのに」
マック=ベインは若いパイロット,マティの顔を見て溜息をついた。
「君に言っても仕方のないことだしな。・・・・マティ,もう仕事に戻っていいぞ」
マティがオフィス部屋を出ると,マック=ベインはまた溜息をついた。
「折角君が来てくれたというのにな。・・・・ふっ切れたのはいいんだが,どうもな」
「でも,トミィが元気になったと聞いて,安心しましたわ」
マリィ=ハドソンは少し茶渋で汚れたカップに口を付け,熱い紅茶を啜った。
これでもきれいなカップを選んだつもりなのだろうが・・・・・・”やっぱり男の人だけだとこうなるのかしら?”
そんなことを考えながら,また一口。
「どうするね,マリィ。一回りしてくるかね?」
「そうですね。ここへ来たのも久しぶりだし」
そう言って立ち上がると,二人の背中に,またあの声がかかった。
「トミィなら,3号庫の奥ですよ」
ガスト=ケイプの声だ。
「ガスト・・・・・・いつからそこで寝てた?」
部屋の隅に置いてあるソファーの裏側から声が返ってきた。
「あ〜・・・・?マリィとベインさんが来る前から・・・・っす
「どうしてお前はそこで寝るのかな?ソファーで寝たらいいだろうに」
「ここのソファーは柔らかすぎるんですよ」
そんな二人のやりとりを見て,マリィは「クククッ」っと聞こえないように笑った。


3号庫。
普段は使われていない格納庫。
トミィはそこに置かれた飛行機の翼の上に腰掛けていた。
穏やかな表情で・・・・・・。
マリィとベインはトミィの姿を認めると,声を掛けた。
「よお,マリィ。久しぶりだなぁ」
翼の上から飛び降りるとトミィは軽い足取りで二人の方へ足を進めた。
「トミィの方こそ,元気そうで」
「ああ,お陰様で元気だよ。もっとも最近は運動不足でちょっと太っちまったかな?」
「まだそう言う歳じゃないでしょう?」
そう言いながらも,マリィはさっきまでトミィが乗っていた真新しい,見慣れない飛行機に目を移していた。
初めて見る機体なのに,それは何故か懐かしいような,知っているような機体だった。
「この飛行機,どこかで見た?」
「ああ?・・・・あぁ,さすがはマリィだな。こいつはヴァルコーンだよ」
”ヴァルコーン”・・・・・・懐かしい名前だった。
亡き夫,ジェームスがよく話してくれた。
『いつか,自分で設計した飛行機で,自分の翼で飛んでみたい』・・・・と。
その飛行機の名がヴァルコーンだった。
風の精,”シルフィード”と対を成すもの。
「ジェームスが設計したものに,ベインさんのエンジンを積んでみたんだ。まあ,多少手は加えてあるけどな」
「これが,ジムの・・・・・・」
ヴァルコーンを見つめる二人の目は,あの頃へ還っていた。
それは,マリィにも,そしてトミィにもとても遠い日のことのように,まるで御伽噺(おとぎばなし)の世界のことのように思えた。
近くにあって現実ではない,手の届くことのない絵本の中の出来事。
「トミィ,翔ばしてみるか,こいつを・・・・・・」
ベインの低い声がトミィを現実に引き戻した。
「えっ?」
「折角マリィも来ていることだしな,翔ばしてみないか,こいつを」
「・・・・・・」
それは,トミィにとって思っても見なかった申し出だった。
飛行機を降りてから半年余り。
しかし,腕が堕ちているという思いはなかった。
パイロットとしての技量は,今でも誰にも負けないという自負はあった。
しかし・・・・・・。

「ベインさん,ここにいらしたんですか!?」
「どうした?」
慌てて3号庫に飛び込んできた事務員のハーマンにトミィ達は現実に引き戻された。
「今すぐリーズまで飛ばして欲しいという方がいらっしゃるんですが・・・・」
「!?・・・・リーズか?」
「そうなんです」
そのやりとりの意味が分からないマリィが,トミィに囁いた。
「どういうこと?」
「リーズへは正規の航路がないんだ。ここで知っているのはネディぐらいだが,奴は今,航空郵便を届けにフランスの空の上だ」
ハーマンは本当に困ったという表情でベインに訴えていた。
「しかしな,どうしようもないだろうに」
ベインも仕方がないといった表情だった。


「俺が行きますよ!」

「!?」
トミィの申し出は意外なものだった。
しかし,ベインはそれを止める気はなかった。
むしろ,彼ならばできるであろうという信頼があった。
3号庫から引き出される”ヴァルコーン”をみとめて,ヒューイ達が集まってきた。
「トミィ,お前,何考えてんだっ?」
ヒューイ=ファードックだ。
ガスト同様,トミィと同期のパイロットだ。
「何でお前が行く必要があるんだ?」
「仕方ないだろう?他にリーズまで行ける奴がいないんだから」
「だがな,片目では遠近感がつかめない。墜ちるのがオチだぞ!」
「なあ,ヒューイよぉ・・・・」
トミィはヒューイの前まで進むと,頭一つ分小さいヒューイを見下ろしながら,しかし,穏やかに静かに話した。
「飛行機は,2個の目ん玉だけで飛ばすものじゃないだろ?お前,普段何を教えてんだ?」
「だけどトミィ,ラットもジムも死んじまったんだぞ。俺は・・・・・・」
「まあ,見てろって。格好いいとこ見せてやるからよ!」

パイロット服に身を包んだ自分の姿を鏡に映して見てトミィは,自分にはやはりこれが一番に合うと自負しながらも,もう,これを着ることもないだろうと思った。
「マティ!エンジン回したか!?」
扉の外からは,ベインのエンジン特有の軽く,それでいて甲高い音を響かせた音が聞こえていたが,トミィは確かめるように怒鳴った。
「回しました。いつでもいいですよ」
マティのちょっとおどおどしたような声が返ってきた。
”あいつももうちょっと自分に自身を持てるといいのにな”
そんなことを思う自分にトミィは苦笑した。
”俺もヒューイもまだそんな歳じゃああるまいに?”

飛行機に乗り込もうとすると,マリィが走ってきた。
慌てていたのだろうか,髪がほどけていた。
”こんなマリィを見るのは,あいつの最後のフライトの時以来だな”
マリィは何か言いたげだったが,何も言わず,トミィの一つ残った目をじっと見つめていた。
「ちょっと行って来るわ。リーズなんてド田舎,あんまり気が進まないんだけどね」
後ろでは飛行機の後部座席に乗った”お客さん”が何事か大声で叫んでいた。
大方,早くしろ,急げ・・・・なんてことを言っているのだろう。
「じゃあな!」
「トミィ・・・・・・」
トミィは空を見上げ,言葉を選んでいるようだったが,
「見せてやるよ」
一言,そう言うと,ヴァルコーンに乗り込んだ。

飛び立ったヴァルコーンはマリィ達の遙か頭上で一度,大きく旋回すると,北へ向かってその影を小さくしていった。
その姿は,シルフのようだった。