James-T-Hudson(ジェームス T ハドソン)
 #5.い空を見上げて

青い空を見上げて,もう一度・・・・・・


それからしばらくの間,マック=ベインの飛行場は何事もなく静かな刻が流れた。
トミィやガストなど,主だった者達が次回の航空祭に出展される新型機の視察のために仏蘭西国へ行っていたからだ。
この時期,工業・産業力では世界をリードしていた英国であったが,航空機の技術力に於いては仏蘭西国に一歩譲る部分もあったのである。
今回の視察にはジェームスにも声が掛かっていたが,ジェームスはそれを断った。
先日着陸に失敗して小破したヒューイ=ファードックの飛行機の修理をしなければならなかったし,何よりも,トミィ達と同行するということを考えれば,満足な視察ができるとは思えなかったからだ。
しかし,彼は以前のように鬱々として仕事をしていたわけではなかった。
マーチ=マードックが彼のもとを去ってから,彼の中で何かが変わりつつあった。
絵のない額縁のない部屋で,薄汚れた天井と向かい合いながらも,”なぜ生きているのか?”という思いは”生きる”という思いに変わっていった。
”俺は生きる!”・・・・・・と。
そんなジェームスの思いを感じたからこそ,マック=ベインは待ち続けた。
だが,ベインの部屋の前に立つと,今一つ踏ん切りがつかずにドアに背を向けてしまうジェームスであった。
そして,静かな日々は突然に終わりを告げた。

「ジェームス,貴様一体今まで何をやってたんだ!?」
修理が終わったヒューイの機の調整のために,格納庫前で仕事をしていたジェームスに向かって罵声が飛んだ。
トミィ・L・Lである。
いつものようにアレンビー達も一緒である。
いつもならここで怒りと不安,不満が入り交じって自制が効かなくなるジェームスであったが,今日は違っていた。
「トミィか・・・・・・何の用だい?」
トミィの眼を見据え,できる限り声を抑えて答える。
「お前の機の整備ならまだだ。ヒューイのを優先にしてたからな。こっちはもうすぐ終わるから,それまで待ってな」
淡々と話すジェームスの態度が,トミィには気に入らないようだった。
握った拳に力が入っていくのが誰にも分かった。
そんなトミィに,ジェームスは哀れみさえ感じ始めていた。
(こんな形でしか自分を表現できないなんて・・・・・・可哀想な奴!)
「10日だぞ!10日間,奴の機だけ面倒見て,俺のはほったらかしだったってぇのか?ええ!?」
「ものには優先順位というものがあるだろ?そんなことも分からないのか?」
「ジェームス,てめぇ!」
トミィの右手の拳が向かってくるのが見えた。
それはまるで時の流れが止まったかのように,ゆっくりと見えた。
(馬鹿な奴・・・・・・)
ジェームスは,それを避けようともせず,まともに正面で受けた。
『ゴッ!!』
鈍い音がして,ジェームスの体がゆっくりと,のけぞるようにしながら倒れていった。
鼻の中が熱い。血の匂いがした。
トミィが何か喚いているようだったが,ジェームスには聞こえなかった。
目を開くとどこまでも深い青い空が広がっていた。
『チンッ!!』とジェームスは,頭の中に光りが走ったような気がした。
・・・・・・シルフだ!
遠く,空の上をシルフが舞っているのが見えた。
翼を広げ,どこまでも高く・・・・・・
「シルフィード・・・・・・風の精」
そう呟きながら,ジェームスは立ち上がった。
もう迷いはない。

「トミィ・・・・・・来いよ。相手になってやる」
「何ぃっ?」
「俺を殴りたいんだろう? 来いよ・・・・・・それとも一人じゃ怖くて雑種を殴ることもできないのか?」
「てめぇ,何様のつもりでっ?」
トミィの怒りが頂点に達し,ジェームスに向かった。
「何様なのか確かめてみろよっ!!」
ジェームスの方が一瞬早かった。
ジェームスの右拳がトミィの左顎に入った。
トミィの体が右回りに一回転して,格納庫の壁に当たって崩れた。
「・・・・・・がっ!?」
激しい痛みに思わず左手が顎に伸びる。
唇が切れたようだ。
顎を押さえた左手の指先に血の赤がついた。
「ジェームス・・・・ッ!!」
怒りに任せてトミィはジェームスに殴りかかった。

一度染みついた”もの”は変わりくいものである。
それが人の心であるなら,人の性であるならばなおさらである。
北の氷のように,川の流れのように・・・・・・。
それ故に,人は逃れんが為に悩み,苦しむのである。

幼子の様に,二人は喚きながら殴り合う。
アレンビー達の入る余地はなかった。
「雑種の分際で,貴様はっ!」
「それがどうしたっ!?目先の小さなことにばかりにこだわりやがって,先の見えない奴が!」
ジェームスの言葉にトミィは納得する。
自分の心の狭さを感じる。
しかし,目の前の現実,やり切れなさに意思と行動が反発する。
それが彼の弱さであった。
だから,
「ほざくなっ!!」
拳を振り上げ,そんな言葉を発する。

既に怒りはなかった。
意地だけがお互いの拳を振り上げさせていた。
”もし母が生きていたら,何と言うだろう?”
同じ思いが二人に過ぎる。
長い殴り合いに,全身が痛みと疲れを覚え,悲鳴を上げていた。
”何やってんだ,俺達?”
しかし,汗と血にまみれながらも二人は対峙することを止めなかった。
口も鼻も血の味が広がり,肩で息をしている状態である。
そんな二人をマック=ベインは笑みを浮かべながら見ていた。
「若いな・・・・・・馬鹿者共が」

もう終わらせよう,もう終わりにしたい・・・・・・。
トミィは最後の力を振り絞って,構えた。
「お前が・・・・・・」
大きく振りかぶって,ジェームスに殴りかかった。
「お前が気に入ったぜ,ジェームス!」
ジェームスはそれを避けようとしたが,もう体が言うことを聞かなかった。
それはトミィも同じだった。
足がもつれ,振り上げた拳もそのままの姿勢でジェームスの体に倒れかかってきた。
二人の体がゆっくりと倒れていった。
そしてそのまま動かなくなった。

トミィの体の重さを胸の上に感じながら,ジェームスは満足感を覚えていた。
(もう,俺は隠れて生きることはしない。俺は俺の生き方をする!)
言葉にするならそういう想いだった。
気がつくと,顔のすぐそばで,啜り泣く声が聞こえていた。
トミィだった。
首にも痛みを覚えながら,何とか声のする方に顔を向ける。
見るとトミィは腫れ上がった瞼を開きながら,涙を流していた。
だが,口元は笑っていた。
その声は,泣いているのか笑っているのか分からなかった。
「トミィ・・・・・・!?」
トミィの声が,今度ははっきりと笑っているのが分かった。
「ジェームス,俺はよ・・・・・・」
ジェームスの体の上から何とか体をずらして,トミィはよろよろと立ち上がった。
そして,ジェームスの方に手をさしのべて言った。
「俺は,貴様のように頑固で生意気な奴が大嫌いなんだ」
腫れ上がり,血と汗と砂埃に汚れた顔であったが,ジェームスはトミィのこんな穏やかな顔を見たのは初めてだった。
だから,
「俺もお前のようなひねくれ者が,大っ嫌いだよ!」
そう言って,手をさしのべた。

二人は立ち上がると,
「ひでぇ様だな?」
「お互いな!」
そんなことを言いながら,熱いシャワーで既に乾いて黒くなってこびり付いた血を,過去の想いを洗い流そうとシャワールームへ向かって歩き始めた。
シルフは,まだ高く空を舞っていた。

そして,ジェームスはマック=ベインの部屋のドアをノックした。
もう,迷わずに・・・・・・。


青い空を見上げて,もう一度,夢を追いかけて・・・・・・
翼を広げて,風を追いかけて・・・・・・

A Few Month Later



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